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2014.04.29 (Tue)

不信。

失敗のはじまり。の続き

学習の面で、私の心は焦るばかり。
そうこうしながらも、100ます計算のタイムは4分ほどにまで縮まっていきました。

3年生になり、担任は若い男性教諭に。
ほどなく、その教諭は学校に来なくなりました。様々な噂が飛び交いましたが、結局学校側からは詳しい説明もないままついに学年が終了するまで1度も教壇には立たれませんでした。
授業は教頭先生が行なって下さいましたが。

その頃になって私はようやく
「このままでいいのだろうか」と思うようになっていました。
100ます計算、くもん。
単純な計算を繰り返すことで集中力を養う。
それで劇的な変化をみせる子供たちがいる。それは現実。
でも、果たしてそれはまおにとって適しているんだろうか。

もっといい勉強法があるのではないか。似たような子供たちは、どのような方法で勉強しているのだろうか。もやもや病の子どもたちは、どうしているのだろう。
病院で知り合った、いわゆるママ友とも情報交換は欠かせません。
学習の仕方、育て方、叱り方、もやもや病や難病連合の勉強会にも出かけました。

その中で「ADHD」や「LD」の専門医が開く勉強会が行われるという情報が、私に届きました。
日常の中で、アンテナをフルに立てていると、様々な情報が飛び込んできます。
それを自分にとって、何が必要で何が不必要かを選びとる事はとても大切なことでした。
ただこの勉強会は、私とまおにとってとても有意義なものでした。
手術をしてからしばらくして、まおは知能検査なども一通りしましたが言語や作動など、特に飛び抜けて数値のばらつきもありません。
得意なこと、好きなことを中心に伸ばしてやりたい。
でもだからと言って、苦手なことや出来ないことに目をつぶるには、まおはまだ小学生。早すぎる。

やり方を変えていこう。

勉強会から帰った夜、私はまおに尋ねました。
「くもんは、どう思う?」
「100ます計算は?」
まおの答えは
「計算問題がずらっと並んでいると、どれをやっているのかわからなくなる。そのうち違うことを考えてしまう」
「100ます計算も、なにをやっているのかわからなくなる」

ここは頑張り時なのだろうか。
もっともっと慣れてくれば、集中して出来るようになるのだろうか。

私が出した答えは、否。

その翌日から、朝夕の100ます計算とくもん式塾はやめました。
その代わりに、自宅から歩いて5分足らずの個別型塾に、週1度通うことにしました。
家庭では、日能研の通信教育をとり、「考える学習」に切り替えました。
塾は先生が比較的若く、ほぼつきっきりで教えて下さるので、学校で勉強したことを復習するにはピッタリでした。
日能研の通信教育はさすがにレベルが高く、まおにはちんぷんかんぷんでした。
それでも、ただただ単純計算を繰り返すよりも、図形を展開したり文章問題を読んで解くほうが、まおには合っていたのかもしれません。

小さなステップを登る気持ちで。

ほとんど答えに近いヒントを出してやりながら、正解を出した時には大きなマルを描き思い切り褒めました。

少しづつ、少しづつ、まおは変わっていきました。
学習方法が良かったのか。
脳血流が安定してきたのか。
とはいえ、相変わらずぼんやりすることも多く、同級生と比べると小柄で幼いまお。
性格は明るく穏やかで、多少鈍いところもありました。

4年生になった時、担任は前年度の不登校教諭がそのまま担任に。
新学年最初のクラス保護者会が紛糾したのも当然のことです。
「公立の学校では、校長の権限で教師を首にすることは出来ない」
「なぜ出て来ないかという理由は、プライバシーに関わるので教えられない」
というのが校長先生の言いぶんでした。
「なぜ出て来ない教師をわざわざ担任にしなければならないのか」
「生徒は欠席する時に連絡帳に休む理由を書くのに、教師という責任ある立場の人が欠席の理由を説明しないのはなぜなのか」
保護者も必死でした。

担任代理の教頭先生は、とても熱心でいい先生でしたが、公立小学校というのはこれほど教育に対して緩いものなのか。

私もまおと同じ小学校出身でしたが、当時から身体の弱かった私にたくさんの先生が真剣に向き合って下さったことを、今でもよく覚えています。
水泳を止められ、炎天下の中、お友達のバスタオルを持ちながら2時間プールサイドで見学をしていた私に
「プール、入りたいよな」
といつも声をかけてくれたO先生。
「僕がつきっきりで監督します!プールに入れてやって下さい!」
と、校長先生に涙ながらに直談判して下さいました。
運動が出来なかった私に
「愛ちゃんは本を読むのが好きだから、作文が上手やね」
と、みんなの前で褒め言葉をかけて下さったS先生。
あの頃の教育を、あの頃の学校の居心地を、求めるのはもうだめなのか。。。

私と学校の距離は、どんどん離れていきました。

続きます。
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